2017-02-04(Sat)
初心者の頃のポジポジ病を卒業してから「チャンスがくるまで忍耐強く待たなくてはならない!」と悟ります。
しかしそのチャンスとは一体どのような場面なのか明確に定義せずにチャンスを待つようになり、結局のところ感覚任せ、そして気が付いたら感情任せのトレードをしているのです。
チャンスとは“利益になる箇所”だと考えてしまいがちですが、このように考えてしまうと“正解を当てなくてはならない”となってしまいます。
利益になる箇所だけ狙い撃ちしようとして、結局のところ大きな勝ちも見逃してしまう。
そして気が付いたら「なんで自分が見送った個所だけ考えていた方向に行って自分がエントリーした時に限ってロスカットになるんだ!」と地団駄を踏みます。
待つべきチャンスとは利益になる箇所ではありません。
多くの回数をこなしたら期待値が正となる箇所なのです。
損失になってもそれは確率に収束させるための経費。
経費を支払うことから逃げようとしなくても良いのです。
この経費を支払うことを過度に嫌がり避けようとするのでトレードは壮絶困難なゲームとなるのです。
トレードはトータルで勝つゲームであり個々のトレードの価値は非常に薄いのです。
待つべきチャンスの期待値を明確にいくらだと宣言できないようなルールではいつまでも感情に振り回されているばかりであり一向に改善されませんし結果も出ません。
値動きの未来を当てる精度など何年やっても高まりません。
利益になったか損失になったかでトレードを評価しようとする結果論での反省に振り回され、何1つ確実のない相場の世界で確実を求め始めます。
そして迷宮入りとなります。
利益になるチャンスをいくら待とうとそれは皮肉にも自分で自分の首を絞めるだけなのです。
待つべきなのは利益になるチャンスではなく、回数を多くこなしたらトータルで利益になるところのチャンスなのです。
このニュアンスの違いを頭では分かったつもりになっているトレーダーは多くても(過去の私もわかっているつもりになっているだけでした)、真意を理解し実際に実行できるトレーダーは少数派だと思います。
しかしそのチャンスとは一体どのような場面なのか明確に定義せずにチャンスを待つようになり、結局のところ感覚任せ、そして気が付いたら感情任せのトレードをしているのです。
チャンスとは“利益になる箇所”だと考えてしまいがちですが、このように考えてしまうと“正解を当てなくてはならない”となってしまいます。
利益になる箇所だけ狙い撃ちしようとして、結局のところ大きな勝ちも見逃してしまう。
そして気が付いたら「なんで自分が見送った個所だけ考えていた方向に行って自分がエントリーした時に限ってロスカットになるんだ!」と地団駄を踏みます。
待つべきチャンスとは利益になる箇所ではありません。
多くの回数をこなしたら期待値が正となる箇所なのです。
損失になってもそれは確率に収束させるための経費。
経費を支払うことから逃げようとしなくても良いのです。
この経費を支払うことを過度に嫌がり避けようとするのでトレードは壮絶困難なゲームとなるのです。
トレードはトータルで勝つゲームであり個々のトレードの価値は非常に薄いのです。
待つべきチャンスの期待値を明確にいくらだと宣言できないようなルールではいつまでも感情に振り回されているばかりであり一向に改善されませんし結果も出ません。
値動きの未来を当てる精度など何年やっても高まりません。
利益になったか損失になったかでトレードを評価しようとする結果論での反省に振り回され、何1つ確実のない相場の世界で確実を求め始めます。
そして迷宮入りとなります。
利益になるチャンスをいくら待とうとそれは皮肉にも自分で自分の首を絞めるだけなのです。
待つべきなのは利益になるチャンスではなく、回数を多くこなしたらトータルで利益になるところのチャンスなのです。
このニュアンスの違いを頭では分かったつもりになっているトレーダーは多くても(過去の私もわかっているつもりになっているだけでした)、真意を理解し実際に実行できるトレーダーは少数派だと思います。
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